日々、年老いていく父と、母と私と。穏やかに、共に生きていく。

これまで記録, 介護, 生き方, 看護, 透析

私は今年40才になります。

父は72才、母は先日68才になりました。

私が物心ついた頃から父は腎臓を患って、薬の服用や入退院を繰り返しておりました。

商売人の倅の為か、人様には愛想よく、家では亭主関白で口うるさい父でしたが、今思えばとても私のことを心配して可愛がってくれていたように思います。

私が高校生の頃、腎臓がほぼ機能停止したため、人工透析を始めました。

腹膜透析という、簡単に言いますと腹からチューブを出してそこに液を流し込む、自宅で自分でやる透析です。

腎臓が機能停止してしまうと排尿が無く、水分や毒素が血液中に溜まってしまい、その汚れた血液が体をめぐり、何もしないと数日のうちに死に至ってしまいます。

まだ40代後半で勤めに出ていた父。

勤めながら、透析しながらの生活が始まります。

その頃の私はというと、結構やんちゃで。進学校に通っていたものの授業にはほとんど出ず、気の合う仲間たちとバンドを組み、毎日のように楽器を弾いたり歌を歌ったり。たまに学校に行ったかと思えば、空き教室でサボってばかりでした。

連絡せずに遅くに家に帰り、父に新聞でぶっ叩かれた事もあります。あの時代の田舎で、しかも女子高生がってなると、そりゃーそうなるわな。

後悔はしてませんが、ほんと、おバカちゃんでした。楽しかったw

それから8年ほどでした、父が血液透析に切り替えたのは。

週3日、病院に通い血液を綺麗にしてもらいます。

初めのうちは、仕事と両立しながらでしたが、かなりキツかったのでしょう。一年ほど経ってからでした。父の弱音を見たのは初めてだった気がします。

定年前に、退職いたしました。

辞めてたまるか、と頑張っていた父ですが、周囲からの説得もあり本人も相当にキツかったんだと思います。

本当に、お疲れ様でした。

退職後はと言いますと、そもそもの健常者では無いので悠々自適とはいかないにしても、そこそこお出かけしたり、温泉行ったり、釣りに出かけたり。

透析をしてるせいなのかはわかりませんが、様々な病気を併発しながらも、ここまで生き延びてまいりました。

膀胱癌・狭心症による三度の心臓カテーテル手術・太もものカテーテル手術・胆のう摘出手術・毎年の肺炎・血管の石灰化・白内障に緑内障…

左目は、もう殆ど見えません。

透析患者は健常者よりも早く年老いていきます。実年齢にプラス10歳と言われてるそうです。

その計算で行くと82歳。

なるほど。

そのせいなのか、数年前からよく転んだりするようになりました。身体も硬くなり、足の爪も自分で切れません。

すり足で歩く姿はまるでゾンビのよう。時折、手を引いてあげます。大きかった父の背中は、もう今では家族の中では1番小さい。

あんなに食べるのが好きだったのに、食がとても細くなりました。お茶碗半分。

そして、認知まではいかないけど、軽い記憶障害。時々、色々、忘れてます。

これから先、良くなることはないです。

どんどん、確実にあちこち悪くなります。

そして、もっと色々忘れていきます。

でも、私はそれでも父を愛しく思い、できる限りはそばにいたいと思っております。

その為なら、別に結婚は出来なくてもいい。

私の場合ある意味、覚悟を決めた独り身です。

親のため?いいえ、私のためです。

私が、そうしたいんです。究極のワガママ娘。

そして、母も半分改造人間。背骨にボルトが何本だ?入ってます。あと股関節も人工。

畳には座れません。前にも大きく屈めません。

上半身捻れません。長時間立てないし歩けません。重いもの持てません。

こちらも、これから良くなることはありません。

この先恐らくはどんどん、ボルトが増えていきます。私はこの人を荼毘に付した時、何本の鉄くずを払わねばならんのだろう…と、時折思います。

そんな状況でも、母は明るい。

天真爛漫そのもの。動けなくなれば読書をし、コンサートや旅行に行けなければ歌舞伎やお芝居を観る。

ほんと、この人は…楽しむ達人。きっとどんな状況でも笑っていそうだ。いや、もしかしたら私に気づかせないだけなのかもしれないな…母としてのプライドなのかも。

そんな父と母と、私と三人。

この歳で、田舎で、独身となるといろいろ言う人もおります。行かず後家だの董が立っているだの…。

知りませんそんなものは。

老いなんて自分が一番感じてます。

こうして、残り時間の少ないであろう父と母と、穏やかに時間を過ごすことができる、いま私は結構幸せです。

そこそこに、ほどほどに、それなりに。